なぜ、西成特区を打ち出したか
その端緒は
西成特区構想考(1)で紹介した「アサ芸プラス」に、橋下氏の「西成特区構想」の「原点」が示されている。
社会部記者の言として、『橋下さんは、昨年11月の大阪W選挙の直前に、平松邦夫前市長と公開討論を行ったことがあった。その際に、平松前市長が最初に切り出したのが、あいりん地区の失業者と生活保護者増加など4項目の問題だった。すると橋下さんは「大阪の起死回生のためには、府と市を解体して広域行政と基礎自治体を整理することだ」と持論を展開。最終的には、二重行政の解消こそが、あいりん地区問題解消につながるとの見解を示した。』とある。
この部分だけでは、「特区構想」に結びつかないように思われるが、『地域課題の解消は、基礎自治体の適正規模化によって達成できる。「あいりん地区問題解消」は、その先行事例として、特区構想で取り組む』という、着想の元になったとは考えられ得る。(参考1参照)
果たしてそうなのか、それだけなのか、もう少しこだわってみる。
参考1:平成24年1月19日平成22年度決算特別委員会(一般)
質問者:尾上市会議員、答弁者:橋下市長
『西成あいりん地区というものは大阪市全体の中の一地域ですから、大阪市全体のバランスがとれれば西成区のあいりん地域というのはあの状態で別にいいわけなんです、極論すれば。しかし僕はそれは違うと。大阪市の中にもやはり基礎自治体として複数のコミュニティーがきちんと確立しているということを考えれば、もし仮に西成に西成区長、選挙で選ばれたトップが誕生すれば、大阪市全体のバランスなんていうことを考えずに西成区の、そしてあそこのあいりん地区を何とかしたいというふうに絶対思うはずなんです。』
この公開討論について、探ってみると、「ニコニコ動画」に、大阪青年会議所が2011年11月12日に開催した「橋下徹VS 平松邦夫大阪市長選公開討論会」の動画がアップされていた。
しかし、これは、記事中の社会部記者がいう「公開討論」とは違うようだ。
確かに、公開討論は、事前の抽選の結果、平松氏から発言が始まり、冒頭で4年間の成果を4項目あげているが、「あいりん地区の失業者と生活保護者増加など4項目の問題」ではなかった。
大阪青年会議所の公開討論の録画は、3つに分けてアップされている。その3つを聴取した限り、「あいりん」の言葉は双方から出ておらず、「西成区」の言葉についても、橋本氏から、「北区・中央区・西成区では税収が違う」とうことで、2回出ただけだと思う。
終わりの方で、平松氏が、「3日間、(橋下氏の)横に座らせていただいて・・・」と発言していることからすれば、3日間場所を変えて公開の討論会がもたれていたことがうかがわれ、別の機会に、「アサ芸プラス」の記事に書かれていたようなやりとりがあったのかもしれない。
しかし、それを確認する資料に今のところ行き当たっていないので、別の資料から端緒を探るしかない。
その前に、せっかく2時間かけて討論会の録画を聴取したので、私なりの枝葉を端折ったまとめを記しておきたい。
平松氏は、「4年間成果を上げてきた、住民の声も末端で聞いてきた。大阪市が多くの課題を抱え、重傷であることは確かだが、振興町会の人たちを中心に、努力していただいている。つながりと、ぬくもりを大切にし、区政会議や地域活動協議会を通じて、関心と参加意欲を高めてもらうことによって、ニアイズベター、区に権限を降ろしていきたい。それにより、大阪の活性化を達成したい。今、実験的なことに、力と時間をかけているゆとりは、大阪にはない。」と。
橋本氏は、「選挙で掲げている施策は似たようなもんです。ただ違いは一つ。大阪市という市役所を守るか、もう少し小さな単位にして、権限も財源も渡して、24区それぞれのカラーで運営し、活性化するかです。」と。
平松氏は現在のスケールメリットをいい、橋下氏は、基礎自治体としては大きすぎるという。違いはこの点だけだと思われた。あとは、討論会だから、自分が正しい事の主張とそれに対する反論の繰り返し。
もう一つ、録画を見て知ったこと。
周知の通り、2015年12月の大阪府知事・市長同日選挙に橋下氏は立候補せず、政治家を引退したが、公開討論会で、5年後の予想を聞かれた時、橋下氏は「都構想が実現し、特別区ができている。その時、私は知事には出ない。後継者に譲る」と答えている。
都構想は実現しなかったが、引退だけは実行したということ。「ふ〜ん」というか、「なるほど」というか、引退の事実が確定した時点から、過去の発言を振り返っての、後付けの得心みたいなものを感じた次第。
posted by kamamat at 18:24|
西成特区構想