2016年04月30日

西成特区構想考(2)-2

なぜ、西成特区を打ち出したか

閑話休題。

 橋下市長が、なぜ、西成特区を持ち出したか、どうして西成区(あいりん地域)へ注目し、特区という手法を打ち出したかを探る。

 まず、議会の議事録によって、平松市長と橋下府知事とでは、あいりん地域への認識がどうちがっていたか、探ってみる。

基礎自治体である大阪市の市長としては、「市政にとって重要課題、先頭に立って全市を挙げて、行政と地域の住民との協働で取り組んで行かなければならない」というのが基本で、「国や府の役割分担も求めて行く」というのが、市会答弁から読み取れる原則的立場といえよう。(参考2参照)

 個人的な体験として、数年にわたり「あいりん対策」について行政交渉を重ねた時期があるが、あるとき行政担当者が「あいりん対策、あいりん対策というが、私たちはあいりん対策だけの仕事をしているわけではない。オール大阪の中で仕事をしている。大阪市は例えれば大きなタンカーで、舵を取っても、実際に船体の向きが変わるのには時間がかかる」と発言した。まあ、実務的にはそうだろうとは、思ったが・・・。

広域行政を担う大阪府知事としては、まず、府が実施している労働関係についての施策との関連であいりん問題を認識、第2に、参考情報として得ている地域の動きを認識、そして、弁護士時代に仕事で出入りした個人的体験で厳し環境を認識している。

但し、具体的な取り組み(地域の人声を聞くなど)になると、基礎自治体との分担問題もあり、広域行政として関われるしつらえができてからでないと実現できないということになる。

長く、あいりん対策の分担は、市=民生・福祉、府=労働と分けられており、事業実施でお金が絡むときは、府市折半というのが府市間の取り決めになっていた。広域行政を担う府としては、あいりん対策の根幹は基礎自治体が担う民生・福祉対策だとする考え方を持っている。(参考3参照)

すべての府会議事録に目を通して、橋下知事の発言をチェックしたわけではないので、確定的にはいえないが、知事は市長ほどには、あいりん地区対策に力を注いでいた、あるいは注目していたとは思えない。

あくまでも、大阪市内の一地区であり、大阪市の対策が主となるべきところとの認識であったろう。これは、長く大阪府行政マンの認識であり、知事はそれをオウム返ししただけともいえる。

 その大阪府知事が大阪市長となった。大阪市長となれば、知事のように、距離を置いた発言をすることはできない。

あいりん地域には、1961年第1次釜ヶ崎暴動以降の経過があるので、市長としては、「先頭に立って対策に取り組む」といわざるを得ない。これは平松市長でも、橋下市長でも同じ事だ。

しかし、特別対策が一段落した1970年以降は、やや特別ではあるけれども、あくまでも西成区の一地域、そうそう特別扱いはできないというのが、大阪市行政マンの認識であるので、市長が具体的事業で踏み込むことができにくい環境になっている。(参考4参照)

では、特区構想は、「大阪市行政マンの認識」を超えた、橋下市長のオリジナルだったのだろうか。

   

参考2:大阪市長の認識を見るために参考とした大阪市会での答弁

2008(平成20)年0311日 市会3月定例会常任委員会(民生保健・通常予算)】

西川ひろじ委員からの質問、ホームレス問題、あいりん問題に関する国、大阪府の責任について問われた、平松市長の答弁。

ホームレス問題及びあいりん問題の解決というのは、市政にとっての重要課題であり、私が先頭に立って全市を挙げて取り組んでいかなければならない課題であるという認識を持っております。しかしながら、ホームレス問題及びあいりん問題は、委員御指摘のとおり、さまざまな社会的、経済的要因によるものであり、本市だけで解決し得る問題ではなく、国及び大阪府が果たすべき責任、役割というものは大きいものがあるということも認識しております。

 大阪府が従来から果たしてこられた役割につきましては、本格予算に位置づけて、引き続きその責任を果たしていただかなければなりません。それに加えて、労働行政を初め労働課題から生じる諸課題に対しましても、これまで以上に大阪府としての役割を果たしていただきたいというふうにも考えております。

ホームレス問題、あいりん問題の解決には国がその役割を十分に果たしていくことが重要であることから、大阪府とも連携を図り、あらゆる機会をとらえて国に要望し、問題の解決に向けて引き続き取り組んでまいりたい

 

2009(平成21)年0313日 市会3月定例会常任委員会(建設港湾・通常予算)】

尾上康雄委員から、「あいりん地域全体のまちづくりについて、地域の市民と懇談会を設けるなど、より一層市民協働の観点で取り組む必要が私はあると思う」との問いかけに、平松市長は

『あいりん対策につきましては、本市の重点課題と位置づけて、毎年国に対しても、あいりん地域におけます各種事業や環境改善を目指したまちづくりに対する支援について要望を行ってきております。

 これまで、本市では関係各局によるあいりん対策連絡会議を設置しまして、環境の改善あるいは福祉の向上、そういった観点で種々の対策を検討し、そして実施してきております。

 現在も、本市のまちづくり活動支援制度を活用しまして、地域住民の方々が自主的な活動を行うなど、行政と住民が協力しているところ−、今後、市民協働の観点をそれに加え、一層、行政と住民が連携を深め、総合的なまちづくりに向けて地道な取り組みを重ねていく必要があると考えております。』

posted by kamamat at 18:30| 西成特区構想

西成特区構想考(2)-1

なぜ、西成特区を打ち出したか

その端緒は

 西成特区構想考(1)で紹介した「アサ芸プラス」に、橋下氏の「西成特区構想」の「原点」が示されている。

社会部記者の言として、『橋下さんは、昨年11月の大阪W選挙の直前に、平松邦夫前市長と公開討論を行ったことがあった。その際に、平松前市長が最初に切り出したのが、あいりん地区の失業者と生活保護者増加など4項目の問題だった。すると橋下さんは「大阪の起死回生のためには、府と市を解体して広域行政と基礎自治体を整理することだ」と持論を展開。最終的には、二重行政の解消こそが、あいりん地区問題解消につながるとの見解を示した。』とある。

 この部分だけでは、「特区構想」に結びつかないように思われるが、『地域課題の解消は、基礎自治体の適正規模化によって達成できる。「あいりん地区問題解消」は、その先行事例として、特区構想で取り組む』という、着想の元になったとは考えられ得る。(参考1参照)

 果たしてそうなのか、それだけなのか、もう少しこだわってみる。

 参考1:平成24119日平成22年度決算特別委員会(一般)

質問者:尾上市会議員、答弁者:橋下市長

 『西成あいりん地区というものは大阪市全体の中の一地域ですから、大阪市全体のバランスがとれれば西成区のあいりん地域というのはあの状態で別にいいわけなんです、極論すれば。しかし僕はそれは違うと。大阪市の中にもやはり基礎自治体として複数のコミュニティーがきちんと確立しているということを考えれば、もし仮に西成に西成区長、選挙で選ばれたトップが誕生すれば、大阪市全体のバランスなんていうことを考えずに西成区の、そしてあそこのあいりん地区を何とかしたいというふうに絶対思うはずなんです。』

 この公開討論について、探ってみると、「ニコニコ動画」に、大阪青年会議所が20111112日に開催した「橋下徹VS 平松邦夫大阪市長選公開討論会」の動画がアップされていた。

 しかし、これは、記事中の社会部記者がいう「公開討論」とは違うようだ。

 確かに、公開討論は、事前の抽選の結果、平松氏から発言が始まり、冒頭で4年間の成果を4項目あげているが、「あいりん地区の失業者と生活保護者増加など4項目の問題」ではなかった。

 大阪青年会議所の公開討論の録画は、3つに分けてアップされている。その3つを聴取した限り、「あいりん」の言葉は双方から出ておらず、「西成区」の言葉についても、橋本氏から、「北区・中央区・西成区では税収が違う」とうことで、2回出ただけだと思う。

 終わりの方で、平松氏が、「3日間、(橋下氏の)横に座らせていただいて・・・」と発言していることからすれば、3日間場所を変えて公開の討論会がもたれていたことがうかがわれ、別の機会に、「アサ芸プラス」の記事に書かれていたようなやりとりがあったのかもしれない。

しかし、それを確認する資料に今のところ行き当たっていないので、別の資料から端緒を探るしかない。 

その前に、せっかく2時間かけて討論会の録画を聴取したので、私なりの枝葉を端折ったまとめを記しておきたい。

 平松氏は、「4年間成果を上げてきた、住民の声も末端で聞いてきた。大阪市が多くの課題を抱え、重傷であることは確かだが、振興町会の人たちを中心に、努力していただいている。つながりと、ぬくもりを大切にし、区政会議や地域活動協議会を通じて、関心と参加意欲を高めてもらうことによって、ニアイズベター、区に権限を降ろしていきたい。それにより、大阪の活性化を達成したい。今、実験的なことに、力と時間をかけているゆとりは、大阪にはない。」と。

 橋本氏は、「選挙で掲げている施策は似たようなもんです。ただ違いは一つ。大阪市という市役所を守るか、もう少し小さな単位にして、権限も財源も渡して、24区それぞれのカラーで運営し、活性化するかです。」と。

 平松氏は現在のスケールメリットをいい、橋下氏は、基礎自治体としては大きすぎるという。違いはこの点だけだと思われた。あとは、討論会だから、自分が正しい事の主張とそれに対する反論の繰り返し。

 もう一つ、録画を見て知ったこと。

周知の通り、201512月の大阪府知事・市長同日選挙に橋下氏は立候補せず、政治家を引退したが、公開討論会で、5年後の予想を聞かれた時、橋下氏は「都構想が実現し、特別区ができている。その時、私は知事には出ない。後継者に譲る」と答えている。

都構想は実現しなかったが、引退だけは実行したということ。「ふ〜ん」というか、「なるほど」というか、引退の事実が確定した時点から、過去の発言を振り返っての、後付けの得心みたいなものを感じた次第。

posted by kamamat at 18:24| 西成特区構想