2016年04月18日

西成特区構想考(1)の2

まずは、発端事情
先に紹介した大阪市のホームページによると、特区構想の発端は、「市長の指示―特区的な運用を行い、子育て世帯を西成に誘致するように指示があった」ということのようだ。
その指示は、平成24(2012)年1月15日のメールであったという。
橋下氏が市長に就任したのは、前年の12月19日だから、「市長指示」は就任1ヶ月後ということになる。

橋下前市長のメールはすさまじいものだったようで、『幹部らには休日・深夜を問わず、指示メールを飛ばし、回答を迫る。金曜日夜から土、日曜にかけて、10数通のメールが届いたという幹部は「矢継ぎ早すぎて、じっくり考えられない。まずは市長のスピード感に慣れないと」と漏らす。(読売新聞2012年1月20日朝刊39ページ。)』
因みに、2012年1月20日は金曜日。10数通のメールが届いたという金曜日夜から土、日曜が、13日〜15日のことだとすれば、特区構想の発端とされるメールも、その中の一つかも知れない。

発端について、別の見解もあるようだ。
アサ芸プラス(徳間書店が運営するニュースサイト)の記事『橋下徹市長「あいりん特区」構想の勝算(1)「大阪府構想」の突破口に』(http://www.asagei.com/excerpt/3657 =2012年2月7日 10:57 AM)では、記者会見の発言が取り上げられている.
1月18日、突如、記者団の前で、橋下徹市長が打ち出した「あいりん特区」構想。日本で最大の日雇い労働者の街に子育て世代を呼び込むため、固定資産税や市民税を一定期間免除する構想を明らかにしたのだ。』と書き、『「西成区をえこひいきする」/1月18日、橋下徹市長(42)の記者会見の席での発言に大阪市職員は誰もが耳を疑った。』

先に紹介した「西成区特区構想」の経緯説明では、1月15日のメールとあり、1月18日の記者会見での発言より4日前に、大阪市職員の何人かは知っていたと思われる。

この1月18日の記者会見の記録を探してみた。

大阪市のホームページによると「市長記者会見」は、2011(平成23)年12月19日の就任記者会見が最初で、以後、翌年の1月4日、1月12日、2月9日と続く。1月18日付けの記者会見は見当たらない。
大阪市会の「平成22年度決算特別委員会(一般)平成23年12月・平成24年1月-01月19日−06号」議事録に、橋下市長の発言として『毎日、記者とは朝30分近く取材に応じて、帰りも同じぐらいの時間をやってる』と記されてある。

産経新聞(大阪)の2012(平成24)年1月19日朝刊「市長日記(18日)」に、『午前9時 登庁。西成特区構想について「企業誘致の手法で子育て世代を西成の特定地域に呼び込みたい」と話す。』と記載があり、アサ芸プラスの記事で言う記者会見はこの事を指しているようだ。

但し、産経新聞はこの記者会見の日(1月18日)の朝刊一面に、『橋下市長 西成優遇・特区へ 減税で子育て世帯誘致 治安改善目指し職員増』の見出しで、特区構想を記事にしており、『記者会見の席での発言に大阪市職員は誰もが耳を疑った。』かどうかは、定かではない。大阪市役所の開庁時間は、9時00分から17時30分までであるから、出勤した市職員が午前9時の記者会見までに、産経新聞の回覧を行った可能性は低いとすれば、あるいは、誰もが耳を疑う状態であったかもしれない。
なお、記事中には『西成が変われば大阪と日本が変わる』との橋下市長の言葉が入れられている。
posted by kamamat at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 西成特区構想
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