2016年04月18日

西成特区構想考(1)の5

「作法」を改めよ!いや、それが命!のすれ違い
平成24年1月19日の「平成22年度決算特別委員会(一般)」で、西成区選出の尾上市会議員は、『やっぱり議会は後についていくという感じで受けとめた』と延べ、『先に市長の思いが新聞報道で出るというこの間の手法というのかあり方というのはほとんどそういう形で、−それを議論するということに今の議会の立場でいうとなってますわね。−市長はよくあるんですけど、−間違いあればすぐそれは認めて撤回すると。−ほんならもう次にいくという感じでこの間のスタイルは来てる。−もう少しそこは検討して発信するように』注意を喚起している。

それに対して、橋下市長は『発信するということは、−自分に責任を持って、あとは自分の言葉でしゃべるというところが重要なわけでして、一言一句、ちょっと間違ったからそこは間違えるなというふうに言われたら、これはもうトップとしての役割が何もなくなってしまうといいますか、−あとは僕自身が責任をとります。間違ってこれは修正がきかないということになれば辞職をするし、そうでない修正は修正していくという方針でやっていきます。』と答えており、「作法」の違いが浮き彫りになっている。

戦後初の行政経験のない民間出身の大阪市長といわれる平松氏が無所属・民主党推薦で当選し、市長就任したのは、2007(平成19)年12月19日である。
 2007年(平成19年)7月29日の第21回参議院議員通常選挙で自民党が野党第1党である民主党に大敗。初めて参議院第1党から転落した余波ともいえる。
 しかし、平松氏市長就任前の4月8日の大阪市会議員選挙結果は、
  自民30議席、公明20議席、民主17議席、共産16議席、無所属6議席。平松氏長が推薦を受けた民主党は、第3党、少数与党であることに変わらず、「作法」を変えるどころではない環境であったといえよう

橋下氏の場合は、個性の違いもあるが、以下の選挙事情を見ても、常に第1党に支えられており、「環境」の違いは歴然であったといえ、「作法」を変えても通用させ得るという判断もあったように思える。

 もっと重要なことは、首長と行政との分離、というか、首長と行政の一体感が断ち切られたということかもしれない。新しい「作法」は、そのために選ばれた手法であったといえるのかもしれない。(最下部の歴代市長経歴参照)。

posted by kamamat at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 西成特区構想
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